2022-07-24 guanli 51
4月の商品収支の黒字は前年同月(49億5000万ドル)から20億ドル減り、29億5000万ドルにとどまった。輸出額(589億3000万ドル)は半導体や石油製品などの好調に支えられ前年同月比11.2%増加したが、輸入額(559億8000万ドル)の増加率が16.5%と輸出の伸びを上回った。中でも原材料の輸入額(通関ベース)が37.8%急増した。石炭の増加率は148.2%、ガスは107.3%、原油は78.4%、石油製品は36.0%に上った。サービス収支は前年同月の赤字(1億3000万ドル)から5億7000万ドルの黒字に転換した。輸出貨物運賃の高止まりにより、輸送収支の黒字が17億6000万ドルと前年同月(6億5000万ドル)から拡大した。旅行収支は前年同月と同じ5億9000万ドルの赤字だった。給与・賃金と投資に伴う利子や配当を差し引きした所得収支(第1次所得収支)は32億5000万ドルの赤字。外国親会社への配当金支払いの時期で、配当所得収支の赤字額が38億2000万ドルに上ったため。ただ、前年同月に比べると所得収支の赤字は6億7000万ドル、配当所得収支の赤字は13億4000万ドル、それぞれ縮小した。...
2022-07-24 guanli 28
私たちの生活には欠かせないコーヒーだが、はじめはイスラーム圏の飲み物だった。やがて1600年代からヨーロッパに広がり、ロンドンのコーヒーハウスでは活発なサロン文化が花開く。そこから生まれた保険、銀行、新聞、証券取引所などの様々な形態がロンドンを世界の金融の中心に押し上げた――。古くは薬として使われていた私たちはコーヒーに囲まれた生活をしています。朝起きて、まずは眠気覚ましに1杯飲み、昼はスターバックスなどで談話し、コーヒー通ならコーヒー豆を買いにいくでしょう。コーヒーの起源はエチオピア高原だとされています。コーヒーの発見については有名な伝説があります。羊飼いのカルディという少年が、赤い木の実を食べたヒツジが興奮して騒がしくなったのを見て、その赤い実を食べたら爽快になり、それを聞いた修道僧が食べると眠気覚ましの効果があり、修行に専念できるようになったといわれるものです。900年ごろのイスラームの医師、錬金術師のアル・ラーズィの文献には、すでにコーヒーが薬として使われていたことがわかる記述があります。イスラーム圏では、コーヒー豆を煎ってから砕いて、煮出して飲む習慣が広がっていました。このころは、いまでいうエナジードリンクのような扱いでした。イスラームから広まったコーヒーがサロン文化を生み出す1554年に、トルコのイスタンブルに2つのコーヒーハウスが開業しました。調度品や装飾品を豪勢にして、社交場、サロンになるような店づくりですが、これがのちにヨーロッパに伝わり、次々とコーヒーサロン文化を生み出していきます。コーヒーが徐々にヨーロッパに伝わったとき、最初は、「イスラーム教徒の飲み物、悪魔の飲み物だ」などと言われていました。1605年のある日、ついに教皇クレメンス8世に、コーヒーを禁止するようにと進言する聖職者たちが現れました。しかし、教皇はコーヒーを試し飲みして、えらく気に入ってしまい、「異教徒だけに飲ませていてはもったいない。洗礼を施して、キリスト教徒の飲み物にしよう」と叫び、コーヒーがヨーロッパでも自由に飲めるようになりました。1600年代中盤から、ヴェネツィア、ロンドン、パリ、ウィーンと、コーヒーショップが開店し、ロンドン周辺では10年間で2000軒ものコーヒーハウスが開店するほどでした。ロンドンのコーヒーハウスでは、ニュートンの不倶戴天のライバルであるロバート・フックやエドモンド・ハレー(ハレー彗星を発見した科学者)たちが議論していました。バッハは1732年に、「コーヒーカンタータ」という曲を作曲しています。ベートーヴェンは、1杯のコーヒーを淹れるのに豆は60粒と決めていたそうです。また、理性と自由を掲げて封建制、専制政治と闘ったフランスの啓蒙思想家ヴォルテールは、1日に72杯ものコーヒーを飲んだ記録があるそうです。アメリカ独立戦争やフランス革命を指導した人びとはみな、コーヒーハウスに集まって議論をしていました。...